「認知はある」が「理解はない」のがヘルニア・神経痛だ。

公開日:2017/02/02
最終更新日:2017/02/03

椎間板ヘルニアを含め「神経痛」は言葉の「認知」はされている。

椎間板ヘルニアに限らず「神経痛」という言葉は広く浸透しています。

ビタミンB系の医薬品なども「神経痛にはこれ!」という形で宣伝も沢山しています。

でも、実際に神経痛を患った人間ならわかると思いますが「神経痛」の何がどう大変なのか、という点については思った程理解されていないのが現状です。

神経痛も「腰痛」とかの痛みの延長線にあるものだと考えられているのです。

先に言うけど、全く別物だと声を大にして言いたい。

一方で「神経痛」がもたらす「独特の症状」と「生活への影響力」は理解が進んでいない。

多くの人が「痛」という名前を見た瞬間に「鈍痛」的な痛みをイメージします。

主に炎症反応による痛みや血流阻害・血流過多による痛みなどです。

神経痛は全く別物です。

痛みの発生機序は血流障害と同じケースもあると思いますが、痛みの「質」が全然違う。

神経痛は「痛み」というより「痺れ」に近い概念だと思います。

常にズキズキする訳じゃない。

神経障害が起こる特定の動作や姿勢の瞬間に「ピーン!」と1本の筋に沿って痛みとも痺れとも言えない独特の感覚が体の内側を走ります。

無理をして動かそうものなら、1本だった線がどんどん太くなっていく。

「ピーン」が「ビリビリビリ」へとどんどん悪化していく。

身体の動きと完全に連動しているのです。

つまり、身体の動きが完全に制限される。

この神経痛特有の状況が全く理解されていない。

この「動きの制限」によって僕ら椎間板ヘルニア患者の生活は想像できなくらいの「制限」を受けてしまうんです。

その「動きの制限」からくる「日常生活の制限」がヘルニア・神経痛の最も厄介な点なんですが、ここまで世間の理解が追い付いていないんです。

世の中は「ヘルニア」「神経痛」を知っているかもしれません。

でも「それが患者の生活に及ぼす影響力の大きさ」を理解していないんです。

動かしているのは腰なのに「痺れが走る」のは腰から下という不思議。

腰痛じゃない、神経痛だ。

これをはっきりと自覚するのは多分この瞬間です。

  • 症状は背筋~腰を曲げたり伸ばしたりしたら出てくる。
  • でも、症状が出る部位は「動かしていない」腰から下の部分。

最初は意味が分からないと思います。

腰痛や肩こり等に代表されるように、痛みは動かした部位に起こるもの、というのが僕らの固定観念ですから。

その大前提が通らない。

ああ、自分は神経痛なんだな。

これは「経験して、色々試して気付くこと」です。

当事者ですらここまで遠回りして気付くものなのですから、周囲がそれを「文字・言葉」だけで理解できる訳がありません。

だから「神経痛」や「痺れ」という言葉自体が浸透したとしても、その実態が浸透する訳が無いんです。

ならないとわからないくらい、固定観念を超えた症状なのだから。

右手を上げたら左手がビリビリ痺れるなんて想像できますか?

経験が無い以上「ありえないでしょ」となっちゃいますよね。

実際になるまでは僕だってそうでした。

つまり「実質的な無理解」と僕らは向き合う事になる。

今はTVでも雑誌でも椎間板ヘルニアや神経痛についての特集は沢山されています。

NHKの「今日の健康」もそうですし、「チョイス」「家庭の医学」等など、色んな番組で医師の方がヘルニアや神経痛の解説をしてくれています。

地獄を見た患者視点で物言うなら、、、

 

全部が一般論

 

ヘルニアというもの、神経痛というのもを解説しているだけで、実際に患者が社会生活の中で向き合う現実はスルー。

それでは椎間板ヘルニアや神経痛の本当の辛さが伝わらない。

当事者とそれ以外の人との間の認識の乖離が広がるばかりだと思います。

基本的に医療系の番組は疾患そのものの解説と対応・予防策を中心に伝えるものなので仕方がないと言えば仕方がないのですが。。

よく難病指定を受けている疾患の患者さんが「この病気への理解を!」という訴えをしていると思います。

僕は患者側のいう「病気への理解」と罹患していない側の「病気への理解」は言葉の解釈が違う気がする。

  • 患者側の「理解」は「罹患者が罹患によって向き合う問題を理解して欲しい」
  • 非罹患側の「理解」は「病気そのものの理解」

じゃなかろうか。

少なくとも椎間板ヘルニアに関しては病気そのものへの理解は進んでいるが、実際に罹患した時にぶつかる「患者の現実」については無理解に近いと思います。

 

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